「馬込沢地域かかりつけ治療院№1」を目指して、お陰様で22年となりました。
今では腰痛、ギックリ腰や交通事故認定治療院として地域の皆様に認知されるようになってきました。ここでは私の簡単な経歴と整骨院との出会いなどを詳細させて頂きたいと思います。
幼少期
岐阜県出身、三人兄弟の三男として生を受けました。
男ばかりでやんちゃ。兄たちに負けない様に、毎日泥んこになって遊んでいました。特にすぐ上の兄とはケンカばかりでした。僕が遊んでほしくて、ちょっかいを出し泣かされていました(笑)。三人でケンカをして大きな窓ガラスを割り、玄関から追い出されたこともありました。
今の自宅は妻のおかげでキレイになっておりますが、もし泥んこの自分がいたら絶対に家の中には入れさせないでしょう。あんな子供を入れたら妻に叱られます。当時は学校から帰っても両親が仕事で不在だった為、よく友達と外で昆虫やザリガニを捕らえたりして、擦り傷をいっぱい作って帰ってきました。
空手との出会い
両親が共働きであった為、二人の兄が習っていた空手の道場に僕も通うことになりました。
当時は道場で一番小さく三人兄弟だった為、先生から「チビ」と呼ばれていました。小学校から大学まで空手漬けの生活でしたが、空手を通じて先生、先輩、同期、後輩と出会い、厳しい中にも貴重な体験をさせて頂きました。
高校時代にはインターハイや全国選抜大会、国体と連続出場。国体では5位に入賞することも出来ました。これも両親の支えがあったからです。
高校の部活動を作るのも学校と交渉してもらい、空手道部を設立することが出来ました。
また大会や遠征など、両親の協力なしではできないことばかりでした。ただ感謝しかありません。
私と整骨院
空手をしていると、体のあちこちに怪我をしていました。整骨院で治療することも多々ありました。大学時代に整骨院の柔道整復師という職業を知り、大学卒業後に縁あって師と出会いました。
資格取得のできる日体柔整専門学校に三年間通い、日中は師のもとで修業。夜は学校で勉強に励み、国家資格も一発合格し治療家になりました。師のもとでは数多くの治療や社会人としての責任など学ぶことばかりでした。
その後、縁あって馬込沢に開業することになり現在に至ります。
家族は妻と男の子三人の五人家族。いつも自宅は賑やかです。子どもの頃を思い出します。
家族の支え、皆様からの応援に感謝です。
日々勉強し、皆様にとっての地域№1になる様に努めます。
今後とも末長くご愛顧宜しくお願い致します。
はま整骨院
院長 濱 勝彦